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DCインタビュー!<前半>日本大使館でソーシャルセクレタリーとして働くビューカー清美さん

DCインタビュー!<前半>日本大使館でソーシャルセクレタリーとして働くビューカー清美さん

ワシントンで「この人に聞きたい!」インタビュー第9回目はワシントンDCの日本大使館を取り仕切るソーシャルセクレタリーとして活躍するビューカー清美さんにお話を伺いました。まずは前半部分をお届けします。

日本大使館前で

日本大使館のソーシャルセクレタリーのビューカー清美さん

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ビューカー清美さん略歴
南山大学・短期大学部英語科卒業後、メリーランド・ノートルダム大学・国際関係・政治学専攻リベラルアーツ学科に編入し1991年卒業。1994年在米日本大使館・儀典班/大使室のソーシャル・セクレタリーのシニア・アシスタントとして現地採用。 その後、大使特別アシスタント、副ソーシャル・セクレタリーを経て、2002年からソーシャル・セクレタリーに。現在に至るまで歴代駐米大使6人(栗山大使夫妻、斉藤大使夫妻、柳井大使夫妻、加藤大使夫妻、藤崎大使夫妻、佐々江大使夫妻)に仕えた経験を持つ。連邦政府プロトコール担当や各国大使館のソーシャル・セクレタリーから成るプロトコール・プロフェショナル・クラブに所属。アメリカ人の夫と長女、次女の4人家族。

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Qソーシャルセクレタリーと言えば、大統領特別補佐官でもあるホワイトハウスのソーシャルセクレタリーが有名ですが、日本ではまだあまり知られていない職業です。どういう仕事かまず教えて頂けますか?
A日本大使館でのソーシャルセクレタリーの仕事は主に5つあります。
①大使夫妻主催の社交イベントの企画コーディネートと当日の会場支援、
②社交スケジュールの調整(大使夫妻宛依頼案件への対応のアドバイスなど)、③大使夫人のパーソナルアシスタント、
④席次や冠婚葬祭、ギフトなどプロトコールのアドバイス、
⑤日本に対し好意的になってもらうアメリカ人を増やすためのソーシャル・ネットワーキング、

の5つのほか、本来はソーシャルセクレタリーの仕事ではないのですが、「大使夫妻のアポやスケジュールの調整」も比較的私が扱うことも多いので、合わせて6つが私の主な仕事と言えますね。

ソーシャルセクレタリーはホワイトハウス以外にも副大統領邸やワシントンDCにある主な大使館にもいますので、ワシントンDCならではの職業ではないかと思います。

Qソーシャルセクレタリーとして働いていて楽しい事、やりがいを感じる時はどんなときですか?
A実はある時期に私のソーシャルセクレタリーとしての能力を見極めるため、どこまで難題を実現出来るのかを試されたことがありました。

まず駐米日本大使が会うべきワシントンDCの重要人物について私自身の意見を聞かれ、それを伝えると、会う事すら難しい政府高官とのアポの設定をするように言われたほか、そうした要人を招いての小規模な社交夕食会を幾つもアレンジするように指示されました。

このほか、ワシントンDCでは一国の大使であっても招待されるのが難しいような主要な社交イベントがいくつもあるのですが、そうした重要なイベントを全て調べるように言われ、リストを作って渡したところ「全部、大使が招待されるように手配しなさい。」と言われ、その時はどうしようかと真っ青になりました(笑)。でもあらゆるツテを使って、指示を受けた事は全てきちんと実現させたのです。本当に難しくて辛かったですが、実現出来た時には大きなやりがいを感じました。

日本大使館の同僚や上司から「とても良い会だった。全て、清美さんのお陰だ。」と言われたときには、本当に嬉しかったです。当時の日本大使館では、ワシントンDCのネットワークに精通しているようなアメリカ人のソーシャルセクレタリーが欲しいと思われていたのではないかと思いますが、私が大使館内で信頼を得てからは何でも私に全て任せるようになってくれソーシャルセクレタリー冥利につきましたね。

日本大使館で主催した2014年ワシントンナショナルオペラボールで佐々江大使夫妻と

佐々江駐米大使と信子夫人と

Q全て実現できたなんてすごいですね!これまで6人の大使夫妻に仕えていらっしゃいますが、そのほか特に印象に強く残っている仕事はありますか?
A最近では分業化が進んでいて、天皇誕生レセプションなど大きなイベントは総務班など各班で協力して作り上げるのですが、大使夫人の主催するイベントは最初から最後まで私が担当しています。

例えばクリントン大統領時代のホワイトハウスの大統領執務室のデザインをしたカーキー・ハッカースミスというインテリアデザイナーに焦点をあてた女性のためのお茶会イベントを行ったのですが、その際は当時ファーストレディだったヒラリー・クリントン夫人や閣僚夫人も公邸に来て下さいました。

ヒラリークリントン大統領夫人と公邸でのカーキーハッカースミス(インテリアデザイナー)のお茶会

ヒラリー・クリントン大統領夫人(当時)を招いて行ったお茶会で

このほかローラ・ブッシュ大統領夫人も参加して下さった裏千家大宗匠による茶道デモンストレーションとランチ会、通算本塁打数がベーブ・ルースを超え、33年間MLB歴代1位だったハンクアーロン王貞治監督を招待し、野球に焦点をあてたレセプション、X JapanのYOSHIKIも来てくれた311日本震災支援のガラ、森英恵ファッションショー夕食会中村紘子ピアノリサイタル、最近では信子夫人の提案で行ったウーマノミクス関連の本の出版記念の昼食会などはほとんど自分で手がけました。

大使夫人や公邸のチーフバトラー、公邸料理人と相談しながら、基本的に招待状文案からデザイン、ゲストリスト、当日のプログラム、メニュー、フラワー・アレンジメント、テーブルプラン、エンターテイメントまでアレンジしたのでこうしたイベントは特に印象に残っています。

王貞治監督と

王貞治監督と

2015年の桜祭りイベントの際のレイアウト

大使公邸で行った2015年の桜祭りイベントの際のテーブルコーディネート

Qブッシュ大統領とは面白いエピソードがあるとか?
Aはい(笑)。ある大使夫人にはパーソナルアシスタント兼、専属の通訳としてどこに行くにもお供をした時期があるのですが、小泉総理とブッシュ大統領の日米首脳会談が間もなくキャンプデービッドで行われるという時期に大使夫妻に同行してホワイトハウスに行き、ブッシュ大統領とお会いする機会がありました。

その際ブッシュ大統領から「大使夫人もあなたもキャンプデービッドに今週末、来るんだよね?」と聞かれたのです。当時の小泉総理は独身でしたから総理夫人もいらっしゃらなかったので、当然大使夫人もキャンプデービッドに行く予定はなかったので、私は「大統領、私たちは招待されていませんよ。」ととっさに言ってしまったのです。すると大統領の顔色が変わってしまったのですが、次の日にホワイトハウスのソーシャルセクレタリーから電話がかかってきて正式に「あなたと大使夫人もキャンプデービッドに招待しますよ」と言われビックリしました(笑)。

キャンプデービッドではブッシュ夫人と大使夫人のセッションも特別にもうけてくださり、夫人の横に座って通訳したほか、その後開かれたブッシュ大統領や小泉総理の昼食会でも通訳をさせて頂きました!大使夫人の通訳として普通では入れないキャンプデービッドにまで行ったのは貴重な経験でしたね。

2001年6月30日キャンプデービッドにて

ブッシュ大統領夫妻とキャンプデービッドにて

2001年6月30日キャンプデービッドでブッシュ夫人と

駐米大使夫人とローラ・ブッシュ大統領夫人の会談の通訳をする清美さん

Qソーシャルセクレタリーとして何か気をつけている事はありますか?
Aこれまで6人の大使夫妻に仕えていますが、大使が代わるたびに白紙に戻ってその大使の色に染まるようにつとめています。それぞれの大使は自分でやりたいと思っていることがおありになるので、私の方から「昔はこうでした!前例はこうでした!」とは絶対に言いません。逆に「昔はどうしてたの?」と聞かれたら経験に基づいてアドバイスをするようにしています。新人の頃に先輩から「この仕事では、『昔はこうでした』と言うのは禁句よ」と教えてもらえたことが大きな学びとなっています。

Q自分から主張しないなんてずいぶん日本人らしく奥ゆかしく仕事をするものなのですね?
Aそうなんです。アメリカではみんな積極的に自己主張した方がいいのかと思っていましたが、実はソーシャルセクレタリーの世界では、奥ゆかしく、謙遜するようなタイプの人が結局は上司や同僚とも円滑に仕事を進めて行くことが出来ます。各国のソーシャルセクレタリーを見ていても自己主張が強過ぎる人は段々、孤立してしまいます。

Q連邦政府プロトコール担当や各国大使館のソーシャル・セクレタリーから成るプロトコール・プロフェショナル・クラブにも所属していらっしゃっていますが、やはり横のつながりが強いのですか?
A2ヶ月に1回はドイツ大使館に集まって定例会をして常に意見交換をしているので、横のつながりは強いです。何かちょっとした質問があるときに気軽に電話1本で連絡出来る人たちがたくさんいます。ソーシャルセクレタリーではないですが似たような仕事をしているロックフェラー氏ら、いわゆる要人のエグセクティブアシスタントなども参加しています。色んな話が聞けて面白いのですが、そこで耳にしたことは基本的には外部には出してはいけないことになっています(笑)。

Q仲間がいるのはいいことですね!日本大使館ではなくてはならない大黒柱として大活躍中ですが、清美さんは小さな頃はどんな子供だったのですか?
A先生からは成績表などにいつも「明朗快活、好奇心旺盛」と書かれるような子供で、当時からスポーツが大好きな体育会系でした。小学校の高学年の時はバスケットボール部のキャプテンで、足も速かったので陸上もやっていましたし、負けず嫌いだったのでマラソン大会では毎年優勝していました。小学校の文集にはピアノの先生や学校の先生になりたいと書いていましたね。

また子供の頃から自分が尊敬している人から言われたことに影響を受けやすい単純なタイプだったのですが、小学校高学年の時に大好きな担任の先生の家に遊びに行った時に、先生が「あなたたちもこの高校に行けるといいわね」と言われたことに影響を受けて、結局先生が勧めたその進学校に進む事を決心しました。

中学時代はテニス部に入ってテニス三昧の生活のかたわら、高校入試のための勉強も頑張って、目指していた進学校に合格出来ました。ところが合格した途端に目標がなくなってしまって遊びまくってしまい高校の時には落ちこぼれになってしまいました(笑)。

Qスポーツ少女だったのですね。昔から海外に憧れていたのですか?
A当時から洋画が大好きで特に「風とともに去りぬ」を見て「これだ!」と思って、高校の文集には「私は将来アメリカの南部で暮らしていると思う」と書いたのを覚えています。

アメリカ南部で暮らすために(笑)、親に頼んで英語の集中講師をつけてもらい地元の南山大学の英米学科を目指す事にしました。その際、小さい頃から知っている尊敬するお姉さんから「4年制の南山大学に進学して途中でアメリカの大学に留学すると留学期間は1年だけど、南山短大を卒業した後、アメリカの大学に編入すれば2年間通えるから短大の方がいいのでは」とアドバイスを受けたこともあって、「短大に行こう!」と決心しました。

だから短大に入学してからは留学に必要だったTOEFLの試験をまず受けたのですが、その結果がものすごく悪くて「やっぱり留学は無理かな。」と思い始めました。そんなとき、短大で2ヶ月に渡って西ヨーロッパを回る研修旅行の募集があったので、留学ではなくて代わりに研修旅行に行く事にしたのです。いざ参加してみると、ローマ法王に謁見する機会があったり、イギリスで英語研修したりと、すっかり楽しくて、帰国した時に「やっぱり私はアメリカに留学する!」と決意を新たにして一生懸命TOEFLの勉強をして毎月のように受け続けました。TOEFL以外にもエッセイを書いたり、面接を受けたりしてなんとか短大の姉妹提携校の合格を取り付けた時にはものすごく嬉しかったですね。

生け花

担当した生け花の大作。大使公邸にて。

Qメリーランド州のノートルダム大学に留学してどうでしたか?
Aまず2ヶ月間英語研修をしてから大学に入りましたが、最初は全然英語が通じなくて本当に苦労しました。留学して最初の1年は正直言って先生がなにを言ってるかもほとんど分かりませんでしたし、だから授業中に自分の意見を発言することも最初はできませんでした。でもとにかく日本のことを話そう!と思ってあれこれ日本のことについて発言していると先生や同級生からも喜ばれるようになりました。英語では苦労していましたが、授業の予習復習は真面目にしていたのでテストは結構できたのでなんとか乗り切ってましたね。

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後半部分では、旦那様との運命の出会い、アメリカに渡ってから日本大使館でソーシャルセクレタリーとして働き始めた経緯などについてお話を伺っています。
以下の「次の記事」をクリックして後半部分も読んで下さいね!

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