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DCインタビュー<後半>著書が総理大臣賞を受賞の芦澤久仁子さん。テレ東ディレクターから国際関係論教授に転身!

DCインタビュー<後半>著書が総理大臣賞を受賞の芦澤久仁子さん。テレ東ディレクターから国際関係論教授に転身!

ワシントンで「この人に聞きたい!」インタビュー第10回目はテレビ東京やイギリスのオクスフォード大での勤務を経て、現在はワシントンDCのアメリカン大学で国際関係論の講師および、ジャパンプログラムコーディネーターとして活躍する芦澤久仁子さんにお話を伺いました。後半部分をお届けします。

芦澤久仁子さん略歴
アメリカン大学講師(国際関係論)及びジャパンプログラムコーディネーター。慶應義塾大学経済学部卒。テレビ東京勤務後、2005年に米国タフツ大学フレッチャー法律外交大学院博士課程修了。その後、英国オックスフォードブルックス大学准教授として、東アジアの国際関係、日本外交等を教える。また、米国ウッドローウイルソン国際学術センター、東西センター、ライシャワーセンターで、招聘研究員として滞在。2010年度安倍フェロー(日米欧のアフガニスタン支援政策比較研究)。主な研究分野は、日本の外交、安全保障、開発援助政策、アジアにおける地域機構づくりとそれを巡る国際政治、日米中関係。著書「Japan, the U.S. and Regional Institution-Building in the New Asia: When Identity Matter」が2015年度大平正芳記念賞を受賞。2012年から現職。アメリカ人の夫とDC在住。芦沢さんのブログはこちら

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アメリカン大学の校舎の前で

アメリカン大学のキャンパスで。芦澤久仁子さん

Q初めてのアメリカ留学生活はどうでしたか?
A留学したのは32歳の時だったのですが、最初の1学期は、いつもガラスの金魚鉢を頭にかぶっているような感じで、英語は聞こえてはいるけど「何を言っているのかよく分からない!」と言う状況で本当に大変でした(苦笑)。でもクラスメート達の助けもあって四苦八苦しながらも徐々に慣れて行きました。学んでいる内容が面白かったので、勉強自体は苦ではなかったですね。

Q将来の旦那様とは留学先で出会ったとか?
Aそうなのです。実は同じ学年の同級生でした!大学院には1学年に120人あまりだったので、みんな顔なじみだったのですが、オリエンテーションの期間に行われた学校の遠足でたまたま主人と同じグループになったのがきっかけで仲良くなりました。彼の方が8歳も年下だったのでまさか付き合う相手だとは思っていなかったのですが、彼から何度もデートに誘われて、自然に付き合うようになりました(笑)。

Q素敵な出会いですね!大学院を卒業後、いったんテレビ東京に復帰されていますが、結局博士課程に行こうと決心したのは何故?
A実は卒業のための修士論文を書いている時に、「私はリサーチするのが大好きだ」と言うことをしみじみと実感し、やはり博士課程にまで行きたいな〜と思うようになりました。そこで大学院を卒業する時に博士課程に応募してから帰国し、テレビ東京に復帰しました。

その後、しばらくたって博士課程に合格したとの連絡が来たのですが、博士課程に進むためにはテレビ東京の正社員と言う安定した職を捨てなければいけないので、さすがにかなり悩みました。でも結局「もっと博士課程で勉強してみたい!」と言う気持ちの方が勝ったので帰国後半年で思い切って会社を辞め、再び渡米することを決意しました。

博士課程でのリサーチ作業自体は面白かったですけど、修士課程とは違って自分の頭で徹底的に考えなくてはいけないので、論文を書くのは本当に辛かったです。結局PhDを終えるまでに7年もかかったので、卒業する時は「やっとできた!」とほっとする気持ちが大きかったです。

Q一方で、博士課程に進まれている頃にご結婚もなさり、旦那様と一緒にコソボに住んだこともあるとか?
A彼の方は、大学院卒業後は2年間パキスタンに行くことが決まっていたので、しばらくは遠距離恋愛が続いていたのですが、結局私が博士課程に戻り、彼がパキスタンからアメリカに一時帰国した時に思いがけずプロポーズされて結婚することになりました。

パキスタンから戻って来た後、主人はニューヨークの国連で勤務することになったのですが、その後ソロモン諸島に赴任することになったり、私の方はカリフォルニア大のサンディエゴ校で博士論文のリサーチをすることになったりして、結局結婚してからも別居が続きました。

あまりに別居が続いていてそろそろ一緒に住みたいな〜と思っていた時に、彼が今度は国連の仕事で1年間コソボに赴任しなければいけないことになり、私の方はちょうどPhDの論文を書きあげる段階でアメリカを離れることが出来たので、一緒にコソボに行くことに決めました。コソボでは地元の大学で国際政治について教えることにしたのですが、それまでコソボでは政治的な理由から国際政治の授業を教えることはなかったそうで、私の授業に集まって来る生徒さんたちはみんなやる気があってとても教えがいがありました。

Q その後、無事にPhDを終えた後、イギリスのオックスフォードで教えることになりましたがそのきっかけは?
A私がちょうどPhDを終える頃になって、今度は彼がオックスフォード大の博士課程を始めることになってしまい、また別居になってしまいました。そこでどうしようかと思っていたところ、オクスフォードブルックス大学でたまたま日本外交を教える教授を捜していることが分かったので応募したところ運良く採用してもらえたので彼と一緒にイギリスに行けることになりました。

オックスフォードでは東アジアの国際関係論やグローバルガバナンス、アジアの地域主義について教えていました。アメリカでの国際関係論はやはりアメリカ中心で軍やパワーポリティックスを重視するのですが、イギリスは国際法とか、国際機関、国際協調を大事にする風潮があるので、同じ国際関係論でも教え方が全然違って、いい経験になりました。またオックスフォードでの生徒はEU出身者が中心だったので授業を通じて彼らの考え方も学べたので面白かったですね。

ウッドローウイルソンセンターの時のセミナー

ウッドローウイルソンセンターでのセミナーに参加した際

Qところがそんな中、旦那様がアメリカに戻ることになったそうですね?
Aはい。しばらくは一緒にイギリスで生活出来て楽しかったのですが、4年後には彼は博士課程を終えてしまい、アメリカの国務省で働くことになったのでまた別居生活をしなければいけないことになりました。

私はオックスフォードでの職があったのでどうしようかと思ったのですが、実はイギリスの大学ではどんな理由でも2年間まではお休みを取ることが出来る素晴らしい制度があるのでそれを使うことにし、主人と一緒にアメリカに戻るためにアメリカにある様々なフェローのポジションに応募して、オックスフォードに籍を置きながらウッドローウイルソン国際学術センター、東西センター、ライシャワーセンターなどで招聘研究員を務めることにしました。日本人向けのプログラムにはもう全て応募しましたよ!

Qアメリカン大学で教えることになったきっかけは?
Aそろそろお休みできる2年間が終わる頃にオックスフォードに戻るかどうかを選択しなければいけなくなりました。オックスフォードでのポジションは終身雇用だったこともあり、それを捨てることに関しては本当に迷いました。主人からは「本当にイギリスに戻りたいなら君の意思を尊重するよ」と言われましたが、夫も私もお互い「出来れば一緒に住みたい」と感じていました。どうしようかと悩んでいた時に、ちょうどアメリカン大学で国際関係論を教えないかと言う話が舞い込んでいたので、思い切ってオックスフォードを辞めてワシントンDCに引き続き住むことにしたのです。

でも実はその後、主人は国務省を辞めて今度はオランダのシンクタンクで働くことになったので、今はまた別居になってしまったんですよ(苦笑)!でも離れている時期が長いからこそ仲もいいのかもしれませんね。

Foreign Policyのイベントにパネリストとして参加した際

Foreign Policyのイベントにパネリストとして参加した際

Q旦那様とお互いのやりたいことを尊重しながら柔軟に様々な国でキャリアを築いて行ってるのは素晴らしいですね!そんな中、芦澤さんの著書が2015年度の大平正芳記念賞を受賞されていますが、受賞を知った時の気持ちは?
A PhDの卒業論文を改めてきちんと本として出版するための、追加のリサーチをしたり、理論 部分を変更したりする作業をずっと続けて、2013年に「Japan, the U.S. and Regional Institution-Building in the New Asia: When Identity Matter」の出版に至りました。

その本が2015年度の大平正芳記念賞を受賞させて頂けることになったのを知った時にはやはり長年の苦労が実ったのでとっても嬉しかったです!特に父親など日本にいる親戚や昔からの友達が喜んでくれたのが私に取っては一番大きかったかもしれません。テレビ東京を辞めてアメリカに渡る時、父は反対はしませんでしたが、その後私が何をしているのかはよく分かっていなかったのではないかと思います(笑)。これまで私がして来たことが1つの形になったので、ようやく親孝行が出来たと感じています。

大平記念賞の授賞式で

大平正芳元記念賞の授賞式で

Q今後の目標は?
Aこれまで私が書いた論文や本は英語で出版していたのですが、今回の大平賞の受賞をきっかけに、今後はもう少し日本語で日本人向けに書いて行けたらな、と思っています。

もう1つは日本の学生たちのお手伝いをするのも目標の1つです。イギリスやアメリカで教えてみて感じたのですが、ヨーロッパ人やアメリカ人は若くして自分の将来を決めたりはせず、色んなことを経験した後、20代後半、もしくは30代になってから自分が本当にやりたい仕事を見つけている人が多いのですよね。一方で日本の若者は大学3年生ぐらいで一斉に就職活動する時に自分の将来の仕事を決めなければいけないので、そう言う状況はあまりに画一的で、ちょっと勿体ないし可哀想だなあと思っています。そんな日本の学生が若いうちに視野を広げて納得出来る将来に向けた選択ができるよう、お手伝いをしたいと考えています。

Qそんな日本人の若者へのメッセージは?
A自分の頭で考えることができるようになるのが一番重要だと思います。「こう言われたから」「これが常識だから」と言う基準で決めるよりも、色んなことにまず疑問を持って自分で考えるようにすることが大切です。そして「どこの会社に就職したい」と言うよりも、自分が「どんな作業が好きなのか」と言うことを早い段階から考えるといいと思います。

若いうちに海外に留学したり、留学まで行かなくても夏休みの間に海外で何かの講習を受けてみるのも視野を広げる1つの手段だと思いますが、日本に居たければそれもいいと思います。日本でもアイデア次第でいろいろなことが経験出来ると思うし、そういう社会になっていかざるを得ませんから。様々な経験をして視野を広げて行くことで、自分がやりたいこともさらに広がっていくこともあるので、その度に自分に問いかけて行って欲しいですね。

それから、国際関係論の勉強にしても、様々な理論を追求して行くと結局は「人間とは」とか「社会と人間の関係とは」という哲学のところまで行き着くので、結局は自分のことを発見するプロセスでもあるのです。その意味では、若いうちに自分が他の人間や世界、社会をどういう風に考えているのかという、自分の哲学(立ち位置)を発見しておけば今後何かを選択する時にとても役立つと思います。カントとかロックなどの哲学の本、ちょっと覗いてみて下さい。「哲学なんて難しいそう!」って敬遠されがちなんですが、実は、日本語訳より英語版の方が意外とわかりやすかったりするので、英語の練習としてもおすすめですよ。

Qありがとうございました!

大平記念賞の授賞式

大平記念賞の授賞式でスピーチする芦澤さん

インタビュー後記
テレビ東京のディレクターから一念発起してアメリカで博士課程を修了した芦澤さん。アメリカ人の旦那様とは結婚の半分以上が別居だと言うことですが、それでもご主人の赴任先のコソボにはついていき、現地の大学で国際関係論を教えたほか、ご主人が博士課程に進むためにイギリスに移り住んだ時には、今度は名門のオックスフォードのブルックス大で准教授の職を見つけ、更にご主人がアメリカの国務省で働くことになった時はアメリカでのポジションを見つけるなど、その時の状況に応じて柔軟に自らのキャリアを築いて来たその様子は見事!と言うしかありません。どこの場所に行っても必ず自分の居場所、活躍出来る場所を見つけることができるしなやかさは、誰もが見習いたい姿勢、能力ではないでしょうか。

また、ご主人の話になると満面の笑顔になるのも印象的で、とっても仲がいい様子がうかがい知れました♫ 次回は是非、旦那様も交えてお話する機会があるといいな〜と思っています!これからもどうぞ宜しくお願い致しますね。

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コメント

  • 元気づけられました!

    しなやか、エレガント、前向き、努力家、そしてひかえめ、日本女性の強味が光るインタビュー記事でした。元気をありがとうございます。


  • Re: 元気づけられました!

    >>1
    ちよさん!コメントありがとうございます。しなやかな生き方は見習いたいと私も触発されました!これからも宜しくお願い致します。



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