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DCインタビュー<後半>TV カメラマンから日米関係強化の仕事に転身の室谷眞規子さん!

DCインタビュー<後半>TV カメラマンから日米関係強化の仕事に転身の室谷眞規子さん!

ワシントンで「この人に聞きたい!」インタビュー第11回目は北米にある37の日米関係の団体ネットワークを束ねる、ワシントンDCを拠点とする全米日米協会連合会(National Association of Japan-America Societies)で、オフィスマネージャーとして活躍する室谷眞規子さんにお話を伺いました。後半部分をお伝えします。

室谷眞規子さん略歴
和歌山県出身。長崎ウエスレヤン短期大学を卒業後、イーロン大学のジャーナリズム・コミュニケーション学科に編入し1994年卒業。同年7月から1995年3月までNHKワシントン支局でビデオ編集。同年4月からTBSワシントン支局でカメラマンとして大統領選を3回経験したほか、在ペルー日本大使公邸占拠事件やアメリカ同時多発テロ事件などを取材。第二期ブッシュ政権誕生を見届けた後、2005年1月に家庭と仕事の両立を理由に退職。同年7月から現職。北米37カ所にある日米協会の地元の活動を資金面、ロジ面など様々な形で支える。夫と息子の3人家族。

室谷眞規子さん、加盟協会のロゴを掲げて

室谷眞規子さん、加盟する北米の日米協会のロゴを掲げて
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Q交換留学後、いったん日本に戻って短大卒業し、予定通りノースカロライナ州のイーロン大学に編入されていますね?2回目の留学生活はどうでしたか?
Aアメリカに戻って来ることができて「やった〜!」と思ったのですが、当時は英語もそれなりに出来るようになっていたので、逆にルームメートとの人間関係で苦労したり、大学生が普通に抱えるような悩みも増えて行きました。きっとアメリカ生活に慣れて来たからこその悩みだったのだと思います。

一方でジャーナリズムコミュニケーション学科での勉強は面白かったです。英語で記事の書き方を学んだり、テレビスタジオでアンカー役をやったりカメラマン役をやったり、写真の撮影の仕方などを学んだのですが、卒業がかかっていたこともあり、本当に勉強しました。

イーロン大学の卒業式にて

イーロン大学の卒業式で

Q大学卒業後、何故アメリカにとどまろうと考えた?
A当初、卒業後は日本に戻る予定だったのですが、当時日本の景気があまり良くなかったこともあり、両親から逆に「ビザがある限り、あと1年くらいアメリカに残った方がいいんじゃない?」と言われて残ったことが結局は人生の分岐点になりました(笑)。

ビザがある1年だけアメリカに残ることにしたので、ニューヨークとワシントンDCにある日本のテレビ局や新聞社に手当り次第に電話をしたり手紙を書いたりしてインターンのポジションを探したところ、たまたまニューヨークのTBSが採用してくれたのでそこで少し働き始めました。しばらくするとNHKのワシントン支局でビデオ編集者を探していると言うことで声がかかったので、この仕事をきっかけにワシントンDCに引っ越しすることにしました。

NHKからは「ビザがある限りは働いていいけど、ビザが切れたら、取得のためのサポートはしませんよ」と言われていたので、どうしようかと思っていたところ、TBSのワシントン支局長から「カメラマンのアシスタントを捜しているんだけど、うちに来る?」と誘って頂いたので、結局TBSでまた働き始め、幸運なことにビザ取得もサポートしてもらうことができ、落ち着いて働き始めました。当初はカメラマンのアシスタントだったのですが人手が足りなくてそのうちカメラマンとして働き始め、それこそ色んな現場に取材に行かせてもらって楽しくて仕方なかったです。子供が生まれてなければ絶対に今でも続けていたと思います。

Michael Moore マイケルムーアー監督インタビューの後

マイケル・ムーア監督のインタビューの後

Q思い出に残っている取材中の面白いエピソードは?
A2000年のブッシュVSゴアの大統領選を取材した際、フロリダ州で票の数え直しが行われるなど、最後までもつれにもつれ、いつ決着がつくか分からなかったのでずっと当時のブッシュ知事の地元であるテキサス州のオースティンのホテルに何週間も住み込んでいました。そんなある日、いよいよブッシュ氏が勝利宣言するかもしれないと言うことになり、当時ブッシュ氏が住んでいた州知事公邸から州議会に向かうところをカメラにおさめようとすごい勢いで公邸前まで走って行ったところ、ブッシュ氏が手をあげて挨拶する様子をいいポジションからカメラで撮影することができたのです。TBSはアメリカのCBSと提携しているのですが、CBSのカメラマンが撮影した映像よりも私が撮影したものの方がいい映像だったと言うことで、私の映像が全米に配信されてニュースで流れた時にはものすごく嬉しかったですね。

あと、印象に残っているのはペルーの日本大使公邸人質事件ですね。リマのホテルに住み込んで、公邸の人の出入りを24時間体制で交替で張り込んでいたのですが、初めての海外での取材で、長期に渡ったこともあり、大変でしたがやりがいがありました。また、911の時はちょうど出張から帰って来たばかりでその日はオフで家にいたのですが、電話がかかって来てすぐに支局に向かい、そこから1週間程は支局に住み込んでテロ事件の取材に明け暮れました。4機目が墜落したペンシルベニア州のシャンクスビルの現場にも行きましたが、かなり近くまで行って直接遺族の方の取材もしたので「なんでこんな惨いことをするんだ」と当時かなり憤ったのを覚えています。本当に様々なことを取材しました。

ペルーの外国人記者証

ペルー日本大使公邸人質事件を取材した時の外国人記者証

Q大好きなカメラマンの仕事を辞めてTBSを退職することにした理由は家庭と仕事の両立とのことですが?
A出産1ヶ月前まで働き、出産した後は2ヶ月程休んでから仕事に復帰してしばらくは子供を預けながらカメラマンの仕事を続けていたのですが、お迎えの時間に間に合わなかったり、子供が風邪をひいてしまったり、制約が色々出て来てしまったので出産前のように思うように仕事が出来なくなり、支局の皆さんにも色々と迷惑をかけました。それにもう少し子供と一緒にいる生活がしたいとも思うようになり、散々悩んだ挙げ句、子供が2歳にる少し前に泣く泣くTBSは退職することにしました。大好きな仕事だったので本当に辛い決断でしたが、それよりも子供と過ごしたいと言う気持ちの方が結局は勝ちましたね。

Q今のお仕事につくことになったきっかけは?
ATBSを辞めた後、やはり何か仕事をしたいと思って子育てと両立できそうな仕事にいくつか応募して行ったところ、たまたま全米日米協会連合会に採用してもらったのがきっかけです。インターネットなど技術の進歩のおかげで場合によっては自宅から仕事もでき、子育てするには最高の環境でした。一方で、休日でもメールやインターネットで仕事ができてしまうので、公私の線がはっきりしなくなったと言う点もあるかもしれませんけどね。

Qマスコミの仕事から日米関係の仕事と言うことで、今までと全く違う仕事内容ですが最初はとまどいはありましたか?
A仕事中にテレビがついていない、CNNが24時間流れているような環境でないところで仕事をするのが初めてだったのでそれが当初は新鮮でした。英語でビジネスレターを書いたりするのもほぼ初めての経験でしたが、先輩に教えてもらいながら徐々に慣れて行きました。数をこなせば新しい仕事でも慣れて行くものだと思います。

Q今後の目標は?
A日米協会のネットワークを今よりももっと活性化させて日本の存在感をアメリカで高めて行くのに少しでも貢献したいと思います。日本人なので、やはり「中国に負けるな!」と言う感じです(笑)。

人間の中には人前に出て行って全面に立ちリーダーシップを発揮して行く人もいれば、そういうリーダーの下について、リーダーが足りない所を補いつつ、チームとしての成果を出して行くのを手助けするのが得意な人もいると思いますが、私はそのリーダーを支えることができるタイプだと思うのです。誰にも見えなくてもいいから、縁の下の力持ちでもいいから、日米関係の強化のために今後も尽くして行きたいと思っています。

息子とTBS社屋を訪問時

息子とTBS社屋を訪問した際

Qそう言い切れるのは素晴らしいですね!最後に海外で働いてみたい日本の若者に対して何かアドバイスは?
A今の日本の若者にはもっと世界を見てもらいたいですね。例えば、日本の中から見えるアメリカと、日本から一度出て実際に現地に来て見るアメリカって全く違いますし、一度実際に世界を見てから日本に戻って見えてくる世界観もまた違って来ると思うのです。一度でいいからどこか外国に出てそこで生活してみることを若い人にはお勧めしたいですね。

それから人生では失敗すること、辛い経験なども必ずありますが、既に起こってしまって、自分の力では変えることができないことであれば、いつまでも過去のことを考えてくよくよしているよりも、前を見据えて新しいことを始めた方が断然いいと思います。たとえ、その時は「人生の終わりだ・・・」と思ったとしてもその先に必ず何かが待っているものですし、そもそも人生でのつまずきは必ずあるものです。自分の人生を他人と比べてうらやんだりするのは全く意味がないことです。結局は自分のつまづきに対し、どう対処して乗り越えて行くかが大切なので、つまずいても立ち上がってその次の何かに向かって歩き出して欲しいですね。

Qありがとうございました!

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インタビュー後記
日本人として海外に住んでいると、地元にある日米協会や日本協会の存在感はかなり大きく、例えばワシントンDCでは毎年開催される日米協会の年次ディナー会や桜祭り、日本語の授業など日本関係のイベントで何かと接点があるものです。

そうした北米に37つある日米協会が会員として所属する業界団体のオフィスマネジャーとして活躍中の室谷さん。子育てとの両立のため、大好きだったテレビカメラマンの仕事を泣く泣く諦めたものの、逆にご自身が得意とされる分野で、きちんと自分の居場所を見つけた、と言う印象です。自分が表に出るのではなく、リーダーを陰ながら支え、ひいては日米関係に貢献したいと言う室谷さんの姿勢は清々しくも感じます。

彼女のような縁の下の力持ち的な人がいるからこそ、日米関係が安定しているのかもしれませんね。今後も日本のアメリカでの存在感アップに向けて益々活躍して欲しいと思います!

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