DC インタビュー<前半>NHK のワシントンDC支局長の田中淳子さん!
DC インタビュー<前半>NHK のワシントンDC支局長の田中淳子さん!
ワシントンで「この人に聞きたい!」インタビュー第12回目はNHKのワシントン支局で支局長として活躍する田中淳子さんにお話を伺いました。まずは前半部分をお伝えします。
田中淳子さん
田中淳子さん略歴
上智大学外国語学部英語学科卒業(在学中に1年間、ジョージタウン大学School of Foreign Serviceに交換留学)。卒業後、NHK入局。
静岡局記者を振り出しに、国際部記者、国際部デスク、ワシントン支局特派員、シドニー支局長、ワシントン支局長などを歴任。今回2度目となるワシントンには、2012年7月赴任し翌年3月より支局長。
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Qお忙しい中ありがとうございます!まずは今の支局長の仕事について教えて下さい。
A支局には私を含め特派員が8人のほか、カメラマンやプロデューサー、編集マンなどローカルスタッフも含め全体で20人ほどが所属しています。それぞれの記者には専門分野があるので細かい取材は各記者に任せ、私自身は様々な人に会って今アメリカはどういう方向に進んでいるのか、アメリカ政府の本音は何なのか、などを肌感覚で把握して、今であれば大統領選挙の取材の方向性など大きな戦略に反映させます。そしてみんなが気持ちよく取材出来るように足りないところを補って行くのが私の仕事です。
もちろん大統領選挙の節目や日米首脳会談、米中首脳会談など大きなイベントがある時は私自身も取材してリポートすることもあります。ただ私は画面に出てしゃべるのが苦手なので(笑)、なるべく日々取材している記者にリポートしてもらうようにしています。仕事としては取材と支局運営が半々ですね。
Qえ〜??リポートが苦手なようにはとても見えないですが?
A中継の時はいつもドキドキしますし、かなりの上がり症なんです。実は私はそもそも記者志望ではなく、舞台裏の仕事がしたかったのでプロデューサーを志望していました。だから今でもリポートするのには苦手意識がありますよ(笑)。
Qとっても意外です!20人もいるとオフィスマネジメントも大変なのでは?
A私たちは記者として派遣されていてマネジメントの訓練をきちんと受けたわけではないので、ローカルスタッフの管理など人事労務の仕事は大変ですね。いかに優秀な人を採用するか、そしてどうやってやりがいを持ちながら働き続けてもらうかが課題なので、ローカルスタッフにはなるべく毎日声をかけるようにしたり、必要な時には相談を受けたり、気配りを心掛けるようにしています。支局にいる20人が壁に突き当たったり、悩んだりしながらもそれぞれ一生懸命頑張っているので、みんなが生き生きと笑顔でクリエイティブに仕事ができるような楽しい職場にするのが理想です。
取材したものをいい形で放送につなげるためにはロジ面とか支局運営と言った表に出ない仕事がすごく大切だと感じています。
ワシントンDC支局のニューススタジオにて
Q田中さんが最近追いかけているテーマは?
A外交安全保障問題であれば南シナ海の問題など対中国政策が中心ですね。もう1つはやはりアメリカの大統領選挙です。今回の大統領選はトランプ氏の登場で、今までの取材で培った経験や知識、通説が覆される場面が多いので、先行きを読むのがかなり難しいと感じています。正直言って当初はトランプ人気がこんなに続くとは思いませんでした。
例えばパリやカリフォルニアのテロのような事件が起きると、外交安全保障や統治経験がある候補者の人気が上がるかと思いきや、難民や移民排斥の方向に議論が流れて、かえってトランプ人気が上がってしまう状況が起きています。
またトランプ現象だけでなく、オバマ大統領も「シリアで化学兵器が使われたら空爆する」と発言していたのに、いざ化学兵器が使われても空爆に踏み切らずにその判断を議会にゆだねてしまうなど、予想外の動きをしています。世界もアメリカも方向性を見極めるのが難しい過渡期にさしかかっているのではないかと思うので、これまでの既成概念にとらわれて判断してはいけないと肝に銘じています。
Qオバマ大統領のシリア空爆判断見送りの会見は私もライブで見ていましたが、あれは皆がビックリした判断でしたよね。
A私はちょうど中継のために徹夜明けで支局にいて、そろそろ帰宅しようかと思っていた時にオバマ大統領がシリアに関して緊急声明を発表することになったので、NHKでも特設ニュースを放送することになりました。東京からはオバマ大統領が話した5分後にその意味合いを生中継で解説しろと言われて・・・(苦笑)。あの時は空爆するかどうかを議会の判断にゆだねると言う想定外の展開をどう捕らえていいのか分からず本当に冷や汗が出ましたね。
Qそれは緊張しますねえ。支局長としてやりがいを感じることは?
A私が直接画面でリポートするのは仕事のうちのほんの一部なので、自分がどうと言うよりも、重要なニュースがある局面でみんなの取材の成果がうまく出せて「いい報道だったね」「ワシントン支局はいい雰囲気だね」などと言われることが一番嬉しいですね。
Qなるほど。これまで支局長として取材した中で印象に残っているニュースは?
A今はインターネットがあって知りたい情報は瞬時にどこにいても知ることができるので、自分でなければ出せないニュースを放送するのは本当に難しい時代になっていますが、それこそが記者の腕の見せ所です。支局長になってから現場に直接行く機会はめっきり減ってしまいましたが、自分が伝えなければ世に出なかったかもしれない取材は特に印象に残っています。
例えばまだ世の中でISISの存在があまり知られていなかった時、ISISの中に欧米人がいると言う情報を聞いて「これは大変なことになる!」との直感があったので色々調べてみました。するとミネソタ州のミネアポリスの郊外にソマリア人地区があり、そこから何人か過激派組織に加わるためイラクやシリアに渡ろうとして逮捕された人達が出ていると言うことが分かりました。
そこで実際にミネアポリス郊外に行って取材したところ、「ここは本当にアメリカなのか?」と思う程、モスクがいくつもあり、ほぼ全ての住民がイスラム教徒という街でまず驚きました。そのイスラム系住民たちはアメリカメディアに対して警戒心を持っていたので、「我々は日本のテレビ局だから中立に取り上げます」と直談判し、結局女性禁制だったモスクの中に入れてもらい、男性ばかりの中で食事までさせてもらいながら取材することが出来ました。
街の中でもイスラム系移民の若者から彼らの悩みについて取材しましたが、アメリカにはまだまだ私の知らない部分があるのだなと実感できて貴重な経験でした。その後、アメリカのメディアも殺到したのでその街の人達はもう取材を受けなくなってしまったようです。私が行った当時はまだ視聴者の関心がない頃だったので逆に早過ぎるほどの取材だったかもしれませんが(笑)、早め早めに取材して放送して行くのが大切だと思います。
このほかには、NSA(=米国家安全保障局)がアメリカ人の個人データを収集していた問題が明らかになったとき、内部告発した4人の関係者にインタビューしてクローズアップ現代の特集にしたことがあります。4人は実際にプログラムを作っていた人達なので話もとても専門的で難しかったですが、一生懸命勉強して、相当長時間に渡って話を聞きました。知らなかったことを学べましたし、やはり面白かったですね。
ワシントンDCのタイダルベイスンの桜の前でのリポート
Qへ〜そんな早い時期にISISの取材をしていたとは先見の明がありますね!ところで、田中さんはどんな子供で将来は何になりたいと考えていましたか?
A普通の昭和の子供と言う感じで、素直に元気に育っていたと思います(笑)。人形遊びやままごとなどは一切せず、外で遊ぶのが大好きで、ショートヘアでいつも半ズボンをはいていたのでしょっちゅう男の子に間違われていました。子供の頃は、ナイチンゲールの本を読むと看護婦になりたいと思ったり、お寿司が好きだからお寿司屋さんになりたいと思ったり、将来なりたいものはいつもころころ変わっていましたね。
中学高校はバスケ部に所属してバスケ一色の青春でした。とにかく体を動かすのが好きでしたね。
Qバスケ少女だった高校時代には実はアメリカのワシントン州に1年留学されたとか?
Aそうなんです。当時はバスケに熱中していたので、取り立てて英語や留学に興味があった訳ではないのですが、ある日職員室の前を通りかかって交換留学の募集の張り紙を見た瞬間に「これは私のためにある!」と思ってすぐに応募したのです。なんでそう思ったのかは分かりません。直感だけで行動してしまうタイプでした(笑)。
実際にアメリカに行った最初の頃は、英語も全く分からなかったので本当に苦労しましたが、赤ちゃんが英語を学ぶ時のように、「こういう時はこういう風に言うんだ」と言うことを実体験で真似して覚えて行きました。授業中でもアメリカでは「分からない」と言うことをきちんと意思表示しないといけないと言うことが分かったので、声は上げるようにしていると同級生や先生が助けてくれて、なんとか乗り切れました。留学の1年終わる頃になって、ようやく授業が少し分かるようになってきました。
帰国後はまたバスケに熱中する日々だったのですが、運良く推薦で上智大学に入学出来ることになりました。
Q上智大学に在学中にジョージタウン大に一期生として交換留学されたとか?どんな大学生でしたか?
A大学時代はちょうどバブル世代だったので、それなりに楽しく遊んでいました(笑)。一方で犬養道子さんの「人間の大地」と言う本に触発されて開発問題に興味を持つようになり、開発関係の授業を取ったり、ボランティア活動に精を出したりしているうちに、再び留学して勉強したいなと言う思いが強くなりました。
当時、ジョージタウン大学から上智大学に来ていたアメリカ人の交換留学生の1人とものすごく仲良くなったので、留学したいと相談してみました。高校時代は田舎の学校に留学したので、「今度は都市部の大学で開発の勉強をしたい」と彼女に言ったところ、その友人が「ジョージタウン大しかないじゃない!」と言って自分の教授に手紙を書いてくれました。私もやりたいことをエッセイに書いてその教授に手紙を送ったところ、「試験的に交換留学生として受け入れてもいい」と言ってもらえた上に「上智大学に学費を納めていれば、ジョージタウン大での授業料は免除します」と言うことになったのです。
ところが上智大学を通さずに自分で勝手に話をまとめてから大学側に伝えたため、「そんなこと聞いてない!」と問題になってしまい、当初留学は認めない、とまで言われました。でも教授会が開かれ、そこで味方してくれる先生も現れて、試験的に派遣を認めてくれることになり、結局上智大学からジョージタウン大への初めての交換留学生として行くことが決まりました。次の年からは正式に上智大学からジョージタウン大に留学生を派遣する制度ができたのです。
2012年の大統領選の共和党大会にて
Q大学生にして自らの道を切り開いて行っていてすごいですね。実際にジョージタウン大学に留学してみてどうでしたか?
A授業も難しくて勉強もしないといけないので大変でしたが、日本では感じられなかった色んな刺激を受けて楽しかったです!当時は寮生活で4人の学生と共に同じ部屋で共同生活をしていました。私以外はロースクールのアメリカ人3人とイギリスから来た留学生で、会話について行くのが難しかったのですが一生懸命会話に入って行くように努力するうちに受け入れてくれて、妹のように可愛がってくれるようになりました。
またワシントンDCと言う土地柄もあって、毎日のようにルームメイトたちとニュースを見て議論をするうちに私もニュースが大好きになり、将来ニュースに関わるような仕事につきたいと思うようになりました。
Qへ〜!ワシントンDCが原点なんですね。上智大学卒業後、NHKに就職することにしたのは何故?
A留学から日本に戻ってすぐに就職活動を始めたのですが、「NHK特集」が大好きだったのでドキュメンタリーを作る縁の下の力持ち的な仕事がしたいと思ってNHKを受けました。だから当時はプロデューサー職で受けていたのですが、最終面接で「記者でもいいんじゃない?」と面接官に言われ、まさか「ノー」とは言えないので「何でもやります!」と言って結局採用してもらえることになりました(笑)。
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後半部分では、新人記者として静岡に配属された時の苦労話やNHK初の女性特派員としてワシントン支局に派遣された時の話、そして結婚、出産のお話等を伺っています。後半も是非、以下の「次の記事」をクリックして読んで下さいね。
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